2012年5月28日月曜日

エピソード2.1〜あのコピペの話〜

その後、真剣に大学生活板で取り巻いた成果が身を結んだのか、Jとは何度かデートを重ねることができた。彼女は、性にオープンな女性だった。

アキバ後はじめてのデートにて、彼女の地元ショッピングモールで映画を見て食事をした。ショッピングモールへは無料バスが送り迎えしてくれるのだが、バス内にてJがいきなりボクの手を握り、顔を肩に寄せて来た際には非常にドギマギし何も考えられなくなったのを覚えている。。そのような経験は人生初めてだったから無理もない。更に映画館で衝撃的な事が起こった。映画を見ている最中、Jは自分の手を彼女の胸元にやり、そして中のカップを触らせたのである。これにはもう訳が分からなくなり、現実世界にいないような錯覚さえ覚えた。トドメにテ◯ンも強要された。。そしてピクンピクン震わす肢体を眺めながら、その威力に感動した。夢でも見ているようだったが、紛れもなく現実だった。シアターの暗闇に映える彼女の顔は洋風で美しく見えた。ただレストランでの食事中、非リアに対するありがちな「自分を変えろ」的な説教もそのときにされた。説教をされたときは心底うんざりした気持ちになってしまった。親切心なのかもしれないが、勉強しない子供が勉強しろと親に言われうんざりするように、、その手の説教は完全にうんざりした気分になってしまい、頑張るぞとはならないのである。これが大学3年の春に経験した出来事であった。。。

初夏、ボクの在学していた都内とは思えない山奥に佇む、漫画げんしけんの舞台にも選ばれた椎央大学を訪れた。二人オープンキャンパスということで特にイベントの開催もない土曜日に構内を散策した。その前に、お隣のM星大学も探検した。偏差値でいえばこのM星大学は椎央大学に劣っており、Fラン呼ばわりされることさえあったのだが、ボクには妙にしっくり身体がキャンパスに馴染んだ。そもそも偏差値40台の公立高校出身であるのだから、どうにも我が卒業大学はハードルが高く感じ本来の居場所でないアウェイ感を常時感じながら卒業まで進んでしまった訳であるが、対してM星は本来の居場所感バツグンに感じたのである。今更そのことをとやかく言及しても仕方ないが。。

そして椎央大学探検に移ったが、真のメインはその後だった。。。多摩センター方面から多摩モノレール(多摩モノレールといえばキャナァーリ倶楽部の青春万歳!)を利用し通学する学生であれば分かると思うが、到着駅の一つ手前あたりにて、ホテル野猿というラブホテルを進行方向右手から一望出来るのである。実を言うと、このホテル野猿をいつか利用するというのがボクの大学時代の密かな目標の一つだった。つまり密かな目標は、この日をもって達成できたのだ!ただ、結局部屋に入れはしたものの、したことはテ◯ンぐらいだった。立たなかったのである。一応釈明しておくが、当時Jは19歳を超えていたので違法行為ではない。ちなみに、何故かこのホテル野猿にて、元U-15アイドル山中真由美ちゃんの口癖「しってるぅ〜」に大ハマりして連呼しまくっていた記憶がある。

J「私可愛いでしょ」
ボク「しってるぅ〜」

こんな具合である。非常にどうでもいいか。。

とにかく当日のホテル野猿におけるやりとりが、後にボクが大荒れしていたとき板に書いてしまいコピペ化されてしまった悪口の元ネタである。別にそのときは楽しかったしお尻を蹴り飛ばそうとも思っていなかった。ただ書いたときに凄くイライラしておりストレスが爆発してしまったのである。

そんなこんなで濃かった二人オープンキャンパスは幕を降ろした。非常に充実した一日だったと記憶している。その日の夜に、2ちゃんねる自大のスレに「ぼくは女の全てをしってしまった」といったような意味深ドヤ顏レスを残した。まだ童貞を卒業していないことには変わりないのに、である。。。




2012年5月26日土曜日

エピソード2〜何でコテデビューしたかって、そのためだよ〜

認識というヲタ用語がある。一般でも使用頻度の高い言葉であるけれども、ようは好きなアイドルに顔や名前を覚えて貰うことだ。そういうことが1番進んでいるヲタを最強ヲタともいう。

それで、インターネットの世界でも同じようなことが至るところで繰り広げられており、その様を客観的に眺めていると凄く滑稽だ、、、

しかし、ボクはある日を境にその滑稽な眺められる側に立ってしまった。2ちゃんねる某所のとあるハンドルネームをつけた女性に「認識」をされるために。。。

中学生の頃から2ちゃんねるをしていたボクは、アルコール中毒者やタバコ中毒者のようにそれなしでは生きられないカラダに変化してしまった。リアルで居場所の無い日陰者の唯一の居場所のような部分があったからだ。といっても、生粋の気弱な内向人間のボクは、2ちゃんねるを頻繁に見るようになってから初めて書き込みが出来るようになるまで2年以上かかったと記憶している。初めてレスをしたときは緊張して動悸が止まらなかった。ネットの名無しの世界ですら馴染むのに大変な苦労を要するのだから、現実社会で友達、ましてや彼女など一向に出来なかった。

だから、名前欄をデフォルトの名無しさん(これは各板によって変わってくる)でなくて、敢えて固有の名前をつけ自分を周りと切り離す固定のハンドルネームを付けることなども出来る訳が無かった。。

ところが、状況が変わったのは大学二年の夏休み頃からだ。当時は2007年で、既に大学生活板を覗いてはいた。しかし自分が在学する大学のスレッドを多少チェックする程度で、大学生活板、略してダイナマの固定事情についてはさっぱりだった。

そんな折、自大スレに異物が混入した。この異物混入事件が彼女、Jとのファーストコンタクトだったのである。

「渋谷で私に焼肉を奢るオフをやるから来てね☆」といったような、そんなふざけた感じのオフの告知だった。自分はからかい半分にレスを飛ばして会
話を直ぐに終了させた気がする。

半年後、ボクは固定ハンドルを付けて彼女、Jのスレを立て取り巻きになっていた。惚れたのかよく分からんが、Jに吸い寄せられていたのである。そして「認識」をされ、1番の取り巻きでありたいという欲求が沸々と湧き出してきた。

そのしつこさは一体何だったのか、遂に秋葉原で、Jと接触することに成功した。やりとりは基本的にスレッド上で行った。

たしか、万世橋のすぐ近く、今は無き石丸電気ソフト本店(旧ソフト2)7Fにて催されていた無料なのに2時間近く楽しめるアイドルイベント、新aiaiミュージックカーニバルのライブ終演後だったか、ダイナマのスレに彼女が少し離れたファミレスにいると情報をばら撒いていたので、騙されたと思って現地に赴くと、本当にいたのである。。

興奮で脳が麻痺していたか分からないがキラキラしているように見えた彼女は、二人がけのテーブルでカレーを食べていた。30分程話をした後(ほとんど覚えていないが印象を残すためヲタクアピールをした気がする)、「これもういらないから、あげるね」と食べ掛けのカレーを渡された。ボクはそれをペロリと平らげ、レジで男らしいところを見せようとカレー代を払った。ファミレスなのに1000円以上して高いと思った。

ここで彼女とは解散。解散後、まだ新aiaiミュージックカーニバル終演後の握手会は絶賛開催中だったので現場に戻り、ピーチという女子大生ぐらいの年齢のコと握手した。つ◯く♂プロデュースのアイドルで第二回メガネなんとかコンテストだかオーディションだかで優勝したらしい。。

帰宅後ダイナマのスレを開くと、Jの書き込みがあった。「◯◯、あたしの唾液入りカレーを食べて興奮してたよw」唾液入りカレーを食べたことについては興奮しなかったが、Jの妙な魅力に惹かれ、最強ヲタになろうと思った。あとピーチの太ももも、ムチムチしてエロかったのでフラッシュバックした。



2012年5月24日木曜日

エピソード1〜プロローグ〜

彼女との関係は、あっさり終わってしまったのである。つまるところ、自分にとって唯一、心を許せる大事な存在であった筈が、相手側からすれば優先順位ランキング100位圏内にすら入るか危うい(被害妄想にしてもそのくらいショックだった)取るに足りないネクラ人間だったのだ!

高校2年生から1番好きだった女性、Aとの関係は、大学3年に入ろうかという春休み、こうして終了してしまった。

彼女は、天真爛漫という言葉がよく当てはまり、クラスの輪の中心におり常に騒いでいるようなタイプだった。そして、キモヲタタイプの人間が視界に入ると先陣を切って「きんもー☆」と嘲笑していた。なので自分は、とにかくモーニング娘。やBerryz工房に関心があることを悟られまいと必死に隠していた。AKBブーム前のアイドルヲタクに対する風当たりは、強かったように記憶している。特にBerryz工房は小学生も在籍していたため絶対に知られたらマズイと感じていた。ちなみにAの顔は、そんなに可愛くなかった。しかし今振りかえれば、自分に声を掛けてくれるというだけで落ちてしまったのだろう。なんてチョロいんだ!

関係が終了したというのは何か宣告を受けたことを意味するのなく、単にメールの返事が来なくなったのである。1浪していたAから、大学合格の報告を某ショッピングセンターで受けた翌日以後、メールの返信は来なくなった。その時は隣に彼女の母もおり、「いままで娘が迷惑かけてきたのだから、何かあったときは頼ってね」的社交辞令を受けた翌日からである。

部活の後輩だったAとは、個人的に勉強を教えたり一緒に食事をする関係が続いていた。初めは決して自分から誘うことはなく向こうからの申し出であったが、ボクが大学進学以降は自分からも誘うようになった。そして家庭教師的ポジションを確立させたのである。

クリスマスにも2人で勉強を教え、ロールケーキをプレゼントされるようなイベントもあったとはいえ、考えてみればこの程度の関係で勘違いしてしまう女性経験の無さがいけないのかもしれないが。。とにかくそれを出来るという相手が生まれてこの方1人もいなかったものだから、惚れてしまっても無理はなかっただろう。。

この女性との経験は、8年が経とうとしている今でも忘れることが出来ず、たまにフェイスブックのページを閲覧しては友達申請のボタンを見つめ結局申請しないという時間の無駄を繰り返している。。

そして、このキモヲタにも優しく接する系、小悪魔と連絡の付かなくなった大学3年の春から、精神的支柱を失ったボクのネナン生活がスタートしたのである(その前兆は半年程前からあっかもしれないが、忘れた)。