2012年5月26日土曜日

エピソード2〜何でコテデビューしたかって、そのためだよ〜

認識というヲタ用語がある。一般でも使用頻度の高い言葉であるけれども、ようは好きなアイドルに顔や名前を覚えて貰うことだ。そういうことが1番進んでいるヲタを最強ヲタともいう。

それで、インターネットの世界でも同じようなことが至るところで繰り広げられており、その様を客観的に眺めていると凄く滑稽だ、、、

しかし、ボクはある日を境にその滑稽な眺められる側に立ってしまった。2ちゃんねる某所のとあるハンドルネームをつけた女性に「認識」をされるために。。。

中学生の頃から2ちゃんねるをしていたボクは、アルコール中毒者やタバコ中毒者のようにそれなしでは生きられないカラダに変化してしまった。リアルで居場所の無い日陰者の唯一の居場所のような部分があったからだ。といっても、生粋の気弱な内向人間のボクは、2ちゃんねるを頻繁に見るようになってから初めて書き込みが出来るようになるまで2年以上かかったと記憶している。初めてレスをしたときは緊張して動悸が止まらなかった。ネットの名無しの世界ですら馴染むのに大変な苦労を要するのだから、現実社会で友達、ましてや彼女など一向に出来なかった。

だから、名前欄をデフォルトの名無しさん(これは各板によって変わってくる)でなくて、敢えて固有の名前をつけ自分を周りと切り離す固定のハンドルネームを付けることなども出来る訳が無かった。。

ところが、状況が変わったのは大学二年の夏休み頃からだ。当時は2007年で、既に大学生活板を覗いてはいた。しかし自分が在学する大学のスレッドを多少チェックする程度で、大学生活板、略してダイナマの固定事情についてはさっぱりだった。

そんな折、自大スレに異物が混入した。この異物混入事件が彼女、Jとのファーストコンタクトだったのである。

「渋谷で私に焼肉を奢るオフをやるから来てね☆」といったような、そんなふざけた感じのオフの告知だった。自分はからかい半分にレスを飛ばして会
話を直ぐに終了させた気がする。

半年後、ボクは固定ハンドルを付けて彼女、Jのスレを立て取り巻きになっていた。惚れたのかよく分からんが、Jに吸い寄せられていたのである。そして「認識」をされ、1番の取り巻きでありたいという欲求が沸々と湧き出してきた。

そのしつこさは一体何だったのか、遂に秋葉原で、Jと接触することに成功した。やりとりは基本的にスレッド上で行った。

たしか、万世橋のすぐ近く、今は無き石丸電気ソフト本店(旧ソフト2)7Fにて催されていた無料なのに2時間近く楽しめるアイドルイベント、新aiaiミュージックカーニバルのライブ終演後だったか、ダイナマのスレに彼女が少し離れたファミレスにいると情報をばら撒いていたので、騙されたと思って現地に赴くと、本当にいたのである。。

興奮で脳が麻痺していたか分からないがキラキラしているように見えた彼女は、二人がけのテーブルでカレーを食べていた。30分程話をした後(ほとんど覚えていないが印象を残すためヲタクアピールをした気がする)、「これもういらないから、あげるね」と食べ掛けのカレーを渡された。ボクはそれをペロリと平らげ、レジで男らしいところを見せようとカレー代を払った。ファミレスなのに1000円以上して高いと思った。

ここで彼女とは解散。解散後、まだ新aiaiミュージックカーニバル終演後の握手会は絶賛開催中だったので現場に戻り、ピーチという女子大生ぐらいの年齢のコと握手した。つ◯く♂プロデュースのアイドルで第二回メガネなんとかコンテストだかオーディションだかで優勝したらしい。。

帰宅後ダイナマのスレを開くと、Jの書き込みがあった。「◯◯、あたしの唾液入りカレーを食べて興奮してたよw」唾液入りカレーを食べたことについては興奮しなかったが、Jの妙な魅力に惹かれ、最強ヲタになろうと思った。あとピーチの太ももも、ムチムチしてエロかったのでフラッシュバックした。



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